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当用日記の処分

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 8月 6日(日)12時07分47秒
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  親が元気なうちに将来、この家をどうすべきか長男と打ち合わせしよう。
余分な物は持たない主義であるが、莫大な不用品があって、これを処分すべきであるが、どうすべきか判断に苦慮する。なかでも自分の当用日記の処分をどうすべきか迷う。
 
 

Re: 余分なものは持たない

 投稿者:JM2CLR  投稿日:2017年 7月27日(木)11時29分54秒
返信・引用 編集済
  > No.10[元記事へ]

ご無沙汰しています。95年前後,パケット通信が盛んだったころ(JF2PZG)に遊んでいただきました。最近は他のことが QRLで HAM はほとんどQRT状態ですが、無線機の数は減りません。先日も長年使っていた Kenwood のリグを、きっと使いもしないのに修理してしまいました。余分なものなのかもしれませんが、ラジオや通信機のあのたたずまい(?!)が好きなんですよね…。お元気そうで何よりです。たまたま自分史のページを拝見したのがきっかけで、こちらまでたどり着きました。懐かしかったです。
 

余分なものは持たない

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 6月26日(月)11時33分54秒
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  私の生き方はなるべく質素でシンプルで余分な物は持たない暮らしをしようと思う。シンプルとは自然ということで文字とおりの自然を見るとよくわかります。

あるがままに命を引き継いでく暮らし。シンプルな暮らしでありたい。余分な物は持たないことです。
 

もっと欲しがる不幸

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 6月 6日(火)18時32分40秒
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  ものにもお金にも基本的には不自由せず、しかも健康にも恵まれているのに、不平不満ばかり言っている人に私はどれだけ今まで会ったことだろう。

物もお金もあればあるのが当然になるから、人はもっと欲しがるか、そういう人が持ちえない自由や冒険を欲しがって強烈な欲求不満に陥る。

今の日本に暮らしながら幸せを感じられない人というのは、どこか幸せを感じる機能が壊れていると思う。
 

日記をつけよう

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 6月 3日(土)19時13分5秒
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  年をとると面倒くさくなる。これがいけない。毎日の記録を日記として書いておこう。私は86になった今も日記を書いている。反対に妻はそういった記録雑事を後に残さないようにしている。
夫婦でも正反対です。妻は頭の中に覚えている。私は記録として日記は詳細に書くようにしている。日記は新聞からの記事を写したりする。朝日新聞の天声人語はよく日記にも写す。
妻は心配する。日記をいっぱい残して死後は誰がそれを始末するのか?何も書かないほうが良いと言う。当用日記が所せましと書斎においている。自分の死後は息子たちが処分することになる。
 

目標を持つこと

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 5月24日(水)16時36分17秒
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  老人が健康に暮らす秘訣は、生きがいをもつこと。つまり、目的を持っていることだと思う。たいていの年寄りは目標がなかったら生きていけないのではないでしょうか。  

もう気楽に余生を送ろう

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 5月15日(月)16時24分34秒
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  いま86歳です。もうこの歳になったら気楽にのんびりと余生を送ろう。どこまで生きられるのか?
今朝は午前3時13分から散歩した。午前7時で22.067歩になった。 もうこんな歩数に左右されることなく、のんびりと歩くことにしたい。もっと気楽に余生を楽しむことに転換しょう。 日記を楽しむ。日記は新聞の天声人語を写していてもしょうがない。 自分で感じたことをありのままに書いておこう。 もうそんなに余生があるはずがない。 
 

死の接近

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 3月 8日(水)09時33分21秒
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  誰しも七十歳の年齢を超えると、「死の接近」を考えるようです。
そして、これからどうして生きていけばよいか、死後の世界はあるのか、魂は継続するのか、輪廻はあるのか、などという質問をよく受けます。

僧侶はそういう問題に詳しいと思われているのでしょうが、誰も死後の世界を照明できる人はいません。臨死体験者はいますが、あくまでも臨死であって死ではありません。
 

神の決められたこと

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 3月 8日(水)09時21分0秒
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  人の世は、そして人生は、いかなる努力、工夫をもっても「如何にせん」と言うことが多々ある。医学の領域も同じである。これ程、医学が進歩したのに、何ともしょうのない病気がある。これらはおそらく、「神の決められたこと」なのであろうか。  

思い通りにいかないから人生は面白い

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 2月17日(金)16時43分54秒
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  普通は、思い通りにいかないから苦しい、悲しいが曽野綾子は「思い通りにいかないから人生は面白い」という。  

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