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酒癖のあとのトラジよ燗熱し

 投稿者:石原 八束  投稿日:2017年11月18日(土)08時50分20秒
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  朝鮮の代表的な民謡が「トラジ」。食用や薬用の白いトラジ(ききょう)の根を掘る姿や恋愛を夢みる山里の少女の純情を歌っている。酒に酔うと決まって「トラジ」を歌う男がいた。 彼を追懐し、哀悼の意を表す一句である。中七の「トラジよ」で切れ、座五は自身のことだ。熱燗で飲んでいるうちに自分も酔ってしまったというのだ。「エイヘイヨウエイヘイヨウときこゆ秋」の作も。 「季語 熱燗」  
 

懐手して説くなかれ三島の死

 投稿者:波多野 爽波  投稿日:2017年11月17日(金)16時29分3秒
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  和服の袂の中や胸元に両手を突っ込んだ、ふてぶてしい態度が「懐手」の意。11月25日は三島忌。各方面に多彩な才能を発揮した作家だったが1970年に割腹自殺している。戦後の民主社会へのアンチテーゼとしてナショナリズムに賭けたが、その是非をめぐって多くの人によって論議された。その批評態度に苦言を呈しているのだ。作者は元宮内大臣の波多野敬直の孫、学習院の二級後輩が三島だった。「季語 懐手」
 

空狭き都に住むや神無月

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年11月14日(火)16時37分52秒
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  夏目漱石の一句ですが「都」とはどこだろう。1900(明治33)年の作で、漱石は9月、文部省の第一回給費留学生として横浜よりプロイセン号に乗船してヨーロッパへ向かった。10月、ジェノヴァに上陸し、パリを経てロンドン到着は28日。ロンドン塔、大英博物館、ウェストミンスター
寺院などを見学している。<空狭き都>とはロンドンの空だ。神無月は陰暦10月の異称で、その年の陽暦では11月22日が朔日。霧深いロンドンでもあった。(季語 神無月)
 

人生がよくても悪くても、まず書いみる

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年10月23日(月)13時40分28秒
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  自分史を作りたい人は資料がなくては出来ません。人生を振り返るための年表や日記があれば出来ます。人生がよくても悪くても、まずは書いてみることです。苦労した生い立ちから、離婚をへて子ども3人を育て上げた人生を書き上げた人もいる。離婚に至る話や裁判所でのエピソードも綴る。起きた出来事や自分が感じたことは事実だし、人生の重要なことですが健在な人の名前を出す場合は、その人の了解を取る。人生を書くことは、直接関わった人との出来事を綴ることが多い。互いの思い出が多ければ、印象にのこっていることも違う。やはり書き方は難しいものです。  

ひたすらに人等家路に秋の暮

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年10月19日(木)16時25分26秒
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  「ひたすらに人等家路に秋の暮」中村汀女
動物は生まれつき帰巣の本能を持つが、人間はどうだろう。あるとすれば帰家性か。日暮れは何となく寂しい。童謡の「今きた この道/かえりゃんせ かえりゃんせ」などの歌声を聞くと奇妙に家が恋しくなる。とりわけ<秋の暮>ほど思いひとしおだ。俳句で「秋の暮」といえば日暮れのことで、「暮の秋」「晩秋」ではない。けれど長い歴史においては両義で使われてきた。いちずに家路を急ぐのは不変のことか。
 

無苦集滅道むくしゅうめつどう

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年10月11日(水)10時52分30秒
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  「苦集滅道もなし」この「苦」「集」「滅」「道」という四つを四諦(したい)といいます。

文字どおり四つを諦めると書くのですが苦集滅道をそれぞれ「苦諦・くたい」、「集諦・じったい」、「滅諦・めったい」、「道諦・どうたい」といいます。

 なぜ、人生は苦しいのか、その苦しみを諦めてごらんなさいという。それを「苦諦」といいます。

なぜ苦しむのか、それは苦しみを集めるからで、だから「集諦・じったい」。集めるのを諦めて、スッカラカンにしたら苦しみがなくなるでしょう。その苦しみを減らすことができますか。それが「滅諦」。

そのためには道を諦めなさい、それが「道諦」。諦めなければならない「道」には八つの道があり、「八正道」(はっしょうどう)といいます。お釈迦様は、まず、八つの正しいこと「八正道」を行いなさいといっています。


 

病気が見つかったら

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年10月 2日(月)15時56分6秒
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  「この75歳以上になったら積極的な治療はやめよう」と言っている医者がいる。確かに私もそう思ったが病院へ行かないと不安で仕方ない。

この歳で、もしも病気が見つかったら治療しないではおれない。何か病気になっても強いて治療しない人もいるという。

癌になって苦しくても手術もせずにガマンをしている人はまずいないと思う。
手術は恐い。手術はなるべくしてほしくない。でも放置しておくより医者に診てもらうことです。
 

瞑想してみる

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 9月30日(土)09時20分14秒
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  般若心経は「空」について説かれている。空とは「無心」です。一度心をスッカラカンにしてどういう生き方が、指標が書かれているのか。座禅してみょう。多忙で座禅なんかやっておれない人はまず目をつむって心の中がどうなっているのか瞑想することです。  

子曰く (しのたまわ) く

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 9月25日(月)15時41分45秒
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  子曰く。(しのたまわく)。
之(これ)を知るを之を知ると為(な)し、知らざるを知らずと為(な)せ。是(こ)れ知るなり。

孔子が言われた。知っていることは知っていることとし、知らないことは知らないとする。これが本当の「知る」ということである。

カントの批判哲学を彷彿とさせる名句であり、当たり前のことなのに、現実に見逃されていることである。 すなわち、知ったかぶりをする、知っているつもりでも間違っている、知らないことに気がついていない・・・、本当に知っていることと、知らないことを、はっきりさせないと警告しているのである。


 

未だ生をしらず

 投稿者:alidoro  投稿日:2017年 9月12日(火)19時36分6秒
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  子曰く 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん
(しのたまわく、いまだせいをしらず、いずくんぞしをしらん)

あるとき弟子の子路(しろ)から「死」についての質問があった。すると孔子は「生についてもわかっていないのに、どうして死のことなどがわかろうか」と答えられた。

生きるということは、ただ飯を食って生活しているだけでは、生きているとはいえない。何のために生きているのかを考え、それを実行することが大切なのだ。死のことなど考える暇があったら、今いかに生きるのかを考えよと、弟子にさとしたのである。
 

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