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初めて!

 投稿者:tkmama  投稿日:2004年 1月16日(金)22時16分40秒
  こんな掲示板があったのですね。
初めてカキコさせていただきます。
バカの壁以来、養老孟司さん関連の本を読みまくっています。
その中でも「スルメを見てイカがわかるか!」は、
かなり気に入ってます。
子育て中の私にぴったり。
子育て中の方々に、ぜひ多くの方々に読んでもらってこの感動を共有したいです。
茂木さんが書かれている部分も面白かったです。
 


ご質問

 投稿者:bari  投稿日:2004年 1月14日(水)18時02分59秒
  私は、平凡な人間でこの本の本質を理解するにはかなりの距離を感じます。
茂木先生がおっしゃられていた「ニューロン」でしたか、
人は共通で持っているのでしょうか。
将来、「ニューロン交換」ができるようになれば、と。
そのとき、ここに参加されている知的な方々とも多くの同一性共有ができたらすばらしいことではと感じます。
無学の素人は、作者の意図とは無関係な感想を持ってしまうようです。
 
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「スルメを見てイカがわかるか!」

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 1月12日(月)17時14分27秒
  のページに、出版の経緯等の項目を付け加えました。

本書は、2002年1月12日に朝日カルチャーセンター(新宿)で行われ
た茂木健一郎と養老孟司氏の対談を踏まえて、企画が立ち上がったものです。
養老孟司さんの鎌倉の御自宅での対談などを踏まえ、企画ができてから約1
年半後に出版の運びとなりました。

茂木と養老孟司さんの最初の接点は、茂木が1997年に日経サイエンス社か
ら出版した「脳とクオリア」の書評を養老孟司さんが読売新聞に書いてくださ
ったことでした。その後、日経サイエンスの対談で御会いしたり、養老さんが
主催されている「養老シンポジウム」に参加させていただいたり、茂木が複雑
系の研究者たちと開催した京都大学基礎物理学研究所での研究会に養老さんが
いらしたり、さまざまな機会に御指導いただいております。(茂木健一郎 記)

http://www.qualia-manifesto.com/surumeika.html

 
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tatumiさま

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 1月12日(月)17時11分10秒
  原理というものを立てるにしても、
何らかの形で表現された原理の「意味論」に対する
態度(それはtatumiさんの言われる志向性に回収されますが)
が問題になるのではないかと思われます。

つまり、原理主義の病理とは、その意味論の立て方における
ある種のふるまいのことをさすのではないかと
思うのです。
 
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原理主義を超えて

 投稿者:tatumi  投稿日:2004年 1月11日(日)18時43分20秒
  原理主義をこえるためには、志向性の起源を理解しなくてはいけないと私は感じました。自然科学的には、脳という物理的システムからのアプローチ、哲学的には、「私」が「私」であるという同一性問題からのアプローチ、そして、人生的には、「志」からのアプローチが、それぞれ、志向性の起源を解明するためには必要だと思います。その他、複数の未知なアプローチもあると考えられますが、私の人生を振り返ってみると、私の人生の根源を支えているのは、「志」という言葉です。「志」とは己一代の「野心」とは異なり、その真の意味は、「己一代では成し得ぬことを次ぎの世代に託する祈り」です。心脳問題とは、己一代では成し得ぬほど、人類にとって未解決の大きな難問題です。多くの歴史的偉人達は、2つの文化(科学と芸術)のあまりの溝の深さに直面し、また、その壁がもたらす無理解や無知、争いなどに絶望しながらも、最後は、未来への人類の誰かが私の意志を受け継いでほしいと祈ったに違いありません。そんな他者からの声にならないほどの静かな祈りを心がうけとめる時、私の魂が動かされます。原理主義者には真の「志」(他者への祈り)がありませんから、原則、世代をこえることはありません。だから、どんなに一見、論理的に正しくみえても、原理主義者の意志を、後生に生きる未来の人々が継ぐことはありません。仏教の創始者である仏陀という人には、他者への甘美で静かな優しい愛の祈りをもっていた人でした。だから、2000年という時をこえても、なお、多くの人類の心を無意識に引きつけているのだと思います。  
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

TERAさま

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 1月 8日(木)10時13分36秒
  正しい、正しくない、
という判断自体が、
そもそもご指摘のような体系性に絡め取られた
形でしか
成立しないのでしょうね。

そこと意識の本質がどう関係するのか。
0ー>1的に意識が立ち現れることを含めて、
説明できるといいのですが。
 
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破れなさ

 投稿者:TERA  投稿日:2004年 1月 8日(木)04時05分12秒
  原理主義の正誤を論じようとすると原理主義に則ることになるので、
デーデルよろしく「自分の公理系では自分が正しい」というような
自己保持的な議論しかできません。
これは「破れなさ」一般に対する宿命でもあり、我々にできることは
「破れない公理系」の入れ子を索するしかないのかもしれません。

問題は「意識」の根源が、我々が探索しきれる「破れない公理系」の
内にあるのか、それとも外にあるのかですね。
 
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Jacques Amano さま

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2003年12月30日(火)07時17分24秒
  そうですね。
数学のやぶれなさ、
というのはまだ形式化できるような気がしますが、
進化論のやぶれなさ、というのは
形式化されてさえいない世間知のような
ものだから、
よりやっかいだ、
と言えるのでしょうか。

計算の操作を基礎とする
(primitiveを別のものにとる)
というのは、本気でやると
オモシロイかもしれません。
 
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進化論のところを読んで・・・

 投稿者:Jacques Amano  投稿日:2003年12月28日(日)17時42分51秒
  破れようのなさ、っていうのは、(数学的、物理的?)実在論も同じかと思った。

ただ、意識について、他人から見えることが、主観的経験とは全く関係なく
脳の物理現象だけで説明されたとして、それで納得できるかといわれれば
否だろう。(然りと答えるのは、物理主義に全面的に屈服した原理主義者だろう。)

ところで、私は数学を成立させるのに数学的実在論が絶対に必要だとは思わない。
例えば、計算の操作を基礎とするような考え方があってもいいだろう。
 

TERA様

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2003年12月22日(月)08時01分41秒
  原理主義に反対する、
という立場自体が一つの原理主義ですよね。

私も、物理主義的な原理主義はどこかで維持しつつ、
ふくすうのpretentionを使い分ける、
という柔軟な生き方(それこそ、イカのようなぐにゃぐにゃした生き方)
が良いのではないかと思います。

数値化の原理も、
それを数値化しがたい表象たちとの
インターフェイスとして用いるという
自覚があれば、よいのではないかと
最近おもうところです。
 

今度こそ完走

 投稿者:TERA  投稿日:2003年12月22日(月)03時47分41秒
  話題が多岐にわたりどこも興味深いのですが、原理主義から資本主義、経済成長の話が
特に新鮮に映りました。

原理主義については、私自身が物理数学を道具とする職業ですので、それを真っ向から
否定されてしまうのは困るのですが、それら論理の閉じた系をブラックボックスとして、
ある程度距離を置いた遠くからみる必要はあるとは思っていました。
つまり、そのブラックボックスに閉じられた論理系Aの外から、そこへ課題を放り込む
ときには論理がAに限定されること、そしてそこから出てきた答えが論理系Aの外では
どう解釈できるのかをしっかり確認すべきだということです。
ただ、音波などを実空間の2階微分波動方程式(演算テクニックとしては虚数も使えるが、
物理概念としては実空間に閉じている)で扱いながらも、人類は虚空間の1階微分波動方程
式であるシュレディンガー方程式を見つけ出してくるのですから、さほど原理主義化の
心配はいらないように思ったりもするのですが。(この例は話の範囲が狭いでしょうか?)

資本主義経済については、もうまさに観念に突っ走ってると私も感じています。
余りに観念化された頭の中のソロバン勘定に対して、資本実態の動きがリアルタイムに
追従できず、そのタイムラグによってバブルという空白、不良債権が出来るのだと。

また強迫観念化している経済成長率は、キャピタルゲインで飯を食う人々の生活保障
ということなのだと思います。これはむしろ一部の人間の確信犯であるとさえ思えます。
わざと観念化されたややこしい運用をして、資本実態の動きにムラをつくり、おいしい
部分だけを食い逃げする奴がいるのです。そのツケを資本主義という観念で包み、
国民全体が背負わされているだけなのでしょう。
 
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感想から脱線しますが・・・

 投稿者:TERA  投稿日:2003年12月21日(日)16時37分37秒
  >>茂木さま
>人間が意識の中でとらえることができるのは、
>スルメだけなのかもしれません。
養老先生のお話でも、生体のデータも解剖と同じくスルメ化しているとのことですが、
脳へのデータ入力としては"スルメ型"でしかデータの受け渡しはできないけれども、
他の一時独立な"スルメ型"情報を加えることで次元数を増やしたベクトル空間の中で、
擬似的にイカを感じようとする方向性はあるのではないか?と思ったりもします。
もちろん、時間軸要素に限らずです。

最近気になるのが、CGのレンダリング手法です。レイトレーシングは冷たく
クリスタルグラスなどの表現に適していて、ラジオシティは暖かく提灯の
光などの表現に適していているとされています。これは光分布とは一次
独立である、温度差の座標軸が足されて判断されるからではないかと。
確かに、ラジオシティは熱輻射を計算しているのだから、暖かく感じて
当然ように言われますが、人間は赤外光を視覚では感知できないので、
光量分布から温度差を射影させるべき基底ベクトルを、個体の後天的な
経験では準備することができないはずなのです。
すると、哺乳類が進化の過程で持っていた赤外視覚に関わる基底ベクトルが
脳内のどこかに残っているのだろうか?などという素人考えに及んだりします。
これは風景に懐かしさを感じるのと同じ原理のようにも思いました。

申し遅れましたが、私も物理系を出身とするコンピュータ研究者でして、
LSIの縮小化以外によるコンピュータの進歩を、自然科学に模索する者です。
最近、工学的実務の束縛を解かれたので、茂木先生の世界を勉強しようと
一歩を踏み出したばかりです。なにとぞ浅知恵な書き込みをお許しください。
 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

TERAさま

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2003年12月19日(金)13時46分56秒
  人間が意識の中でとらえることができるのは、
スルメだけなのかもしれません。

生きているイカという実体は、永遠にこぼれ落ちる
項としてしか指し示せないのでありましょうか。
 
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tatumiさま

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2003年12月19日(金)13時45分44秒
  細部に神が宿る、
の現代的解釈は、
チョコレートのような
小さなクオリアに
神が宿る、ということかもしれませんね。
 

スルメは核である?

 投稿者:TERA  投稿日:2003年12月19日(金)05時36分59秒
  「リンゴ」という単語へ強制了解される範囲が、
リンゴを感じ得るクオリア空間になるのでしょうか。

 Ker(リンゴへの強制了解)={りんごのクオリア空間}

逆にいえば、その物質は質感を失って「リンゴ」という単語の
指し示す「核」に収縮する、そんなイメージが沸いてきました。

冗談はともかく、私の頭の中で久々にニューロンが延長された
ような気がします。まだ、読ませていただいている最中なので、
後日改めて感想を書かせていただきたいと思っております。
 

神は細部に宿る

 投稿者:tatumi  投稿日:2003年12月18日(木)20時20分58秒
  養老先生の基本的な考え方がよくわかりました。「神は細部に宿る」という一言がとても印象に残りました。私も、青年期に原理主義に憧れる時期がありましたが、年令を重ねて、最近は、養老先生のおっしゃる「神は細部に宿る」という思考に共感いたします。日常生活で今まで全く気付かなかったものが、突然、いとしく美しく感じる瞬間があります。例えば、道端に誰にも気付かれずにひっそり咲く一輪の花に気付くこと。仕事、仕事で追われているときには気付きにくいのですが、日常を支配している原理主義的な思考から離れて、日常を改めてまじまじと見ると、今まで見たこともないクオリアと出会える瞬間があります。そのクオリアには、神が宿っているように感じるのです。実に面白い本でした。  

コイさん、様

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2003年12月18日(木)07時28分0秒
  天外さんのそのお言葉、知りませんでした。  

フジキセキ様

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2003年12月18日(木)07時26分33秒
  各人のあたまの中にあるリンゴのイメージは
それぞれ違うのに、
それが一つの「リンゴ」という言葉で
強制了解されてしまう、
というところに不思議さがありますよね。
 
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はじめまして

 投稿者:フジキセキ  投稿日:2003年12月16日(火)18時06分19秒
  脳科学書を全般的に読んでいってますがその中でも茂木さんの著作が目につきまして、さらにサイトまで開設されているということで著者と直接コンタクトを取れるなんて本望です!

まず新作はまだ本屋の立ち読みレベルでして(^^;大したことは
言えませんが、養老さんは「スルメをみてイカがわかるか?」
例えば人体の組織標本を作成してそこから全体を把握するなんて
ナンセンスというようなもので、皮肉られたというエピソードを
読みましてう〜ん科学的認知は一般的には受け入れられにくいものかなと痛感しました。
そして茂木さんと養老さんの対談に「リンゴ」を例にあげて言葉は意識と親和性をもちやすいと書かれてましたけど、かなり形而上学的なテーマだなあと
これは僕が以前から描いていたイメージですけど、リンゴでも品種改良が進み糖度や皮の色も若干違うし、味も違う。
だから言葉に対するイメージもその個人個人の体験が加味されて微妙にニュアンスが異なるんじゃないかと考えてしまいます。
いきなり最初の書き込みから深度のあるものになりましたけど(笑)
これからもよろしくお願いします。
 
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題 名

 投稿者:コイさん  投稿日:2003年12月15日(月)12時43分35秒
  『川の水面だけ見て川を知ったと思うな』
イーグルに訊け・天外伺朗氏・P113

『スルメを見てイカがわかるか!』

この2つ、なんらかの関係があるの?!

 

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